瀬奈じゅん|特別養子縁組は地獄の不妊治療の末と元宝塚
こんにちは♪妊活子です♪
今日も妊活に勤しんでおります♪
初めましての方は自己紹介させて下さい!
lets-beautiful.hatenablog.com
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さて今日は、特別養子縁組をされたと発表した元宝塚の瀬奈じゅんさんについてです。私はもしも生涯子供をもてなかったら、特別養子縁組をしたいと考えています。このような発表をされる方が増えるのは嬉しいです。 本名:千田 麻子(せんだ あさこ) 1992年に宝塚歌劇団入団し、その13年後月組トップスターに就任した瀬奈じゅんさん。現在もとても43歳には見えない、とても若々しく美しい瀬奈じゅんさんです。 生年月日:1984年4月9日 元宝塚トップスターを射止めた旦那様は千田真司さんです。年齢は10歳年下の旦那様で、ダンスを得意とし、ミュージカルに出演するなどしています。イケメンですね。 2012年に結婚した瀬奈じゅんさんと旦那様の千田真司さん。女性が10歳年上という事もあり、早く授かりたかったのではないかと予想出来ます。瀬奈じゅんさんをも経験した不妊、その現実。夢を叶える人ですね。 ご報告瀬奈じゅん|特別養子縁組は地獄の不妊治療の末と元宝塚
瀬奈じゅんプロフィール
生年月日:1974年4月1日
(2018年2月現在43歳)
出生地:東京都杉並区
血液型:AB型
職業:女優
ジャンル:宝塚歌劇、ミュージカル旦那様千田真司プロフィール
(2018年2月現在33歳)
出身地:愛知県
身長:181cm
特技:振付・ジャズダンス・HIPHOP結婚7年目で待望の赤ちゃん
瀬奈じゅん|特別養子縁組で母親になった事をブログで発表
この度、瀬奈じゅん夫妻が、特別養子縁組制度により子供を授った事をご報告させて頂きます。
今後も、女優としてより一層精進してまいります。これからも、暖かく見守って頂ければ幸いです。
2018年2月26日に、瀬奈じゅんさんご自身のブログで養子縁組で家族が増えたことを報告されました。
この度、私たち夫婦が、特別養子縁組制度により子供を授かった事。そして、家庭裁判所への申し立てが受理され、晴れて私たち夫婦の実子として入籍に至った事をご報告させて頂きます。
昨年の初夏に生後5日の我が子を病院まで迎えに行き、その日から三人家族になった我が家は幸せに溢れ、それと同時に命の重み、親への感謝、様々な感情、様々な感動を体感する毎日です。
我が子は、その小さな体ではまだ抱え切れないであろう運命を持って産まれてきました。私たちは常に寄り添い、支え、共にその運命を乗り越えて行く覚悟です。今後とも私たち家族を温かく見守って頂けますよう、宜しくお願い致します。
千田真司
瀬奈じゅん
祝福の声が殺到
麻子氏(瀬奈じゅん)が母になり、ともちん(悠未ひろ)が妻になり。
— こまさボーズ (@komasa_bozu) 2018年2月26日
バリバリにカッコいい男役だった現役時をナマで観ている側としては、第二の人生を幸せに過ごしているのを見るのはなんとも微笑ましく嬉しい。
おめでとうございます㊗️
OGさん瀬奈じゅんさんが養子を貰われお母さんに、悠未ひろさんは入籍されご結婚されたとツイートで知りました、お二人共おめでとうございます🎊、宝塚をご卒業され女性として輝いてられる姿は嬉しい限りです‼︎
— ユキ (@yuy190) 2018年2月26日
FUN HOME 千秋楽
— mi (@mmiiiloveeee) 2018年2月26日
瀬奈じゅんさんの
子役たちへのあの優しい表情が忘れられなくて。
あぁ、お母さんになられたんだなぁと改めて今ニュースをみて感じて…
なんか嬉しくてたまらなくなってきた!
地獄のような不妊治療だったと語る
瀬奈は特別養子縁組を考える前に、2年間不妊治療を行っていたといい、それが「地獄のような2年間だった」と振り返った。ホルモン治療などで薬漬けの毎日で心身ともに疲弊。体外受精は7回、そのうち5回は着床しても受精卵が育たず終わってしまったという。
「精神的にも肉体的にも限界だった」とこれ以上は続けられないと考えたとき、夫で俳優の千田真司が「血のつながりにこだわる必要はないんじゃない?」と、特別養子縁組のことを提案したという。
これを聞いたとき、瀬奈は「私はあなたの子がほしいんであって、単に子供がほしいんじゃない」と思ったというが、「主人がそういってるには意味がある。間違ったことをいう人じゃない」と瀬奈自身も特別養子縁組について調べるようになったという。不妊治療の末の養子縁組はエゴなのかと悩んだ
瀬奈は実際に特別養子縁組で親子となった人たちに話を聞く機会に恵まれ、その時に「みなさん口をそろえて『自分は知らされてなかったけど小さいころから気づいていた』って。でも『普通に愛されて育ったから何とも思わなかった』という言葉がすごく前に進める言葉になった」と背中を押され、養子をもらうことを決意したという。
だが、決意しても簡単には進まない。養子をあっせんする団体の中には、不妊治療の末に特別養子縁組を選択することを好まない団体もあったといい「縁組で子供を授かるってエゴなのか」と悩んだ時期もあったという。
血の繋がりがなくても我が子だと確信した
そんな中で不妊治療の末の選択肢であってもいいと言ってくれる団体に巡り合い、16年秋に決意。赤ちゃんの生みの親が出産する前に知らせを受け昨年夏に対面。「どの看護婦さんがミルクをあげても全然飲まないのに、私があげたら何のためらいもなく普通に飲んでいるのをみて看護師さんも全員泣いた。忘れられない瞬間です」と涙を浮かべて振り返った。
特別養子縁組を公表した理由
ではなぜ、公表したのか?瀬奈は「私は一応舞台に立つ仕事をしているので、あの時妊娠してなかったのにどうして?と絶対になる。その時傷つくのは子供。いろいろ考えた末公表することにした」と説明。また同じく不妊治療をしている人たちに向けて「身も心も金銭的にもいっぱいいっぱいになってしまう前に、この制度を知って、新しい家族の形もあると知ってもらうことも、選択肢の一つとしてある」「普通のこととしてとらえてもらえる世の中になってほしい」と知らせる意味もあったと明かしていた。
元宝塚でさえも不妊になる
厳しい訓練を積んだ、穢のないたくましく美しい宝塚。そんな宝塚の方でさえも不妊という現実が訪れることもあるんです。そして宝塚だからこそ、できちゃった婚なんてまずありえないし、恋愛禁止、アイドル以上に。そして卒業の頃には30代。
宝塚だって心は女性なのですから、できちゃった婚ありにしませんか?と思う私。妊娠適齢期が20代前半だという事をもっと伝えて、妊娠は奇跡だということももっともっと広がればいいと思います。そして2月26日(月)の基礎体温は36.7℃で高温期10日目でした。私の所にも赤ちゃん、おいで♪